チャーレンでは、織りは作業場で行われない。軒下で、高床の下で、畑仕事が終わった午後に行われる。女性は脚を伸ばして座り、織機の一端を家の柱に結び、もう一端を自分の腰に回す。経糸の張りは織り手自身の体の重みで保たれる——ここでの人と手仕事の関係を、これほど言い当てる情景はほかにないだろう。
腰に結ぶ織機
高地の伝統的な腰機はきわめて簡素だ。数本の木の棒と一本の帯、ペダルも歯車もない。糸の張りはすべて織り手の姿勢と腰の力にかかっている。少し前に傾けば糸はゆるみ、後ろに反れば張る。だからこそ一枚の布の目の均一さは、それを作った人の腕と辛抱強さを正直に映し出す。
だからこの仕事は急げない。幅の狭い一枚でも数週間はかかる。大きく文様の詰まったものは、畑仕事の合間に少しずつ進めて数か月に及ぶこともある。織り手は仕事を時間で数えない。本物の織物を手にしたときの感触が、機械織りとこれほど違うのは、おそらくそのためだ。
森から取る色
工業製の糸と染料が入る前、織物の色はすべて集落まわりの草木から得ていた。樹皮、葉、根、山の実を搗き、煮て、漬け込み、藍、土の褐色、赤褐色、ウコンの黄を引き出す。手で紡いだ木綿糸を、色が繊維の芯まで入るまで何度も染め重ねた。
自然の色は化学染料ほど鮮やかではないが、奥行きがあり、時とともに美しく落ち着いていく。今日では扱いやすさと色落ちのしにくさから既製の糸を買うことが多いが、年配の職人の多くは儀礼に使う布には昔の染めを守っている——市場の布では代えられないものだ。
文様は何を語るか
織物の文様は思いつきの装飾ではない。それは反復する幾何学の体系であり、その多くは織り手が日々目にするものに由来する。山の稜線、沢の流れ、稲の粒、木の目、獣の足跡、手をつないで踊る人の形。地域ごと、家系ごとに馴染みの文様があり、集落の人は布を見ればどこから来たものか見当がつく。
興味深いのは、これらの文様が紙に記されていないことだ。文様は織り手の記憶と手の中に生きており、織機のそばに並んで座る何十年かを通じて母から娘へ伝えられる。年老いた職人が伝えきれずに世を去るたびに、いくつかの文様が一緒に消えてしまうことがある。
人の一生のなかの布
高地において織物は衣服以上のものだ。それは一生のもっとも大切な場面に現れる。生まれた子を背負う布、嫁ぐ娘の衣装、二つの家が縁を結ぶときに贈る布、葬送で覆う布。手で織った布を贈ることは高い敬意の表し方だ——その贈り物は、贈る人の時間で測られるからである。
いまこの手仕事を守るために
チャーレンの織りは、あらゆる手仕事に共通する問題の前に立っている。若い人は遠くへ働きに出て、織機に向かう時間はほかの仕事の収入にかなわず、市場には織物を名乗る安価な機械織りがあふれている。
とりうる道は、この手仕事を止めておくことではなく、動かすことだ。伝統の文様を、今日の買い手が実際に使うもの——スカーフ、鞄、財布、クッションカバー、装飾品——に載せること。同時に織りを地域共同体の観光と結びつけ、集落を訪れた客が布を買うだけでなく、座って見て、手を動かし、なぜその値段なのかを理解できるようにすることだ。
買う側にとって、もっとも現実的な応援の仕方はとても簡単だ。織り手やコミューンの共同グループから直接買うこと、そして手仕事は高くつき、同じものが二つとないという事実を受け入れることである。その不揃いこそが手の痕跡であり、機械には真似のできないものだ。



